#03.邂逅/その女(ひと)、明朗にして敏腕

 と、その時。
『はいはい、そこでストップ!』
 突如廊下の蛍光灯に明かりが灯り、薄暗かったあたりが急に明るくなった。
『!』
 秋良は薄暗さに慣れていた目を細めながら、声のした方へ振り向いた。
 その先――すぐ近くの曲がり角から出てきたのは一人の女子生徒。さっぱりとしたショートカットに、くりりと大きな瞳が印象的だ。  秋良はその少女に一瞥をくれてやった後、金居へと視線を戻した。
 それに対して彼女は躊躇いもせず、秋良に近寄ると。
『ほら手、下ろしなって』
 そう言って秋良に目配せした。それでもなお従おうとはしない秋良は、
『下ろしな』
 もう一度強く言われると、妙な威圧感を感じ胸倉を掴む手さえ離してしまった。
『その腕章…風紀委員会か!』
 女子生徒の腕にある腕章を見付けた途端、秋良の腕から解放された金居は、助かったとばかりに声を張り上げた。影にはなっているものの、確かに腕章には『風紀委員会』の文字が。
『こいつがいきなり殴りかかってきたんだ!友達もあそこで伸びてる。あんたも見ただろ!?』
 必死に被害者ぶる金居の言葉を聞き流しながら、風紀委員らしい女子生徒は秋良の方を見た。
『おい、聞いてんのかよ!?』
『ねぇ、背の高い君。それに入ってる音声データ聞かせてくれる?』
 金居の言葉を再び無視しながら、女子生徒は秋良に尋ねた。
『は?どういう……』
『……』
 訳が分からないという風に、秋良と風紀委員を見比べる金居。秋良はというと、金居とは対照的に黙り込んでいる。それを怪訝そうに見た風紀委員は、
『こっちの素性が分かんない、から? 仕方ないね』
 と言ってポケットから生徒手帳を取り出した。表紙を開いて中身を秋良達の方へと向けた。そこには氏名、所属クラス、顔写真の他に『風紀委員』の刻印。
『……二年四組日高蛍。風見高校風紀委員長、よ』
 秋良と金居、二人に名乗った後、生徒手帳を仕舞うともう一度言った。
『レコーダーを渡して?』
『……』
 声と共に差し出された手をじっと見つめていた秋良だったが、ようやくその小さな掌にレコーダーを乗せた。
『ありがと。この場で中身を確認しても良い?』
 風紀委員――蛍はイヤホンを取り出しながら尋ねた。この場で再生するつもりなのだろう。
『……どうぞ』
『さんきゅ』
 そう言ってにっこりと蛍は秋良に笑いかけた。しかし、そこで黙っていられなかったのは金居だった。
『なんだよ、お前らグルだったのかッ!?それに携帯は…?』
『別に?あたしは校内の見回りで、たまたま来ただけだし』
 ま、一部始終は立ち聞きさせてもらったけど、とイヤホンを付けながら蛍は付け足した。それに秋良が追い打ちをかける。
『携帯じゃ録音する時、マナーモードにしたって音が出るだろ。それに大した録音時間もない』
『……ッ』
 不正な録音を防ぐため、携帯の録音機能にはわざと録音開始、そして終了音を消す機能がついていない。カメラのシャッター音が盗撮防止のために消せないのもそのためだ。
 しかも数十秒で録音時間は尽きる。一連の会話を全て録音するにはリスクが大きすぎる。
『俺がさっき聞かせた音声はせいぜい二十秒の会話。お前が別のことに気を取られているうちに録音してたってわけ』
 秋良はが教室のドアを勢いよく開け放った時、金居が大きな音と内部の様子に注意がいったのを見計らって録音ボタンを押していたのだ。そして終了音はあの電車の通り過ぎる音に掻き消される。轟音のせいで録音していたことには気付くことは難しいだろう。金居はまんまと秋良にはめられたのだった。
 金居は、険しい顔をして辺りを確認した。しかし背後は袋小路、前方は秋良と蛍。逃げ場は、ない。
 無理に突破したとしても、おそらく蛍に顔を覚えられている。数日の内に風紀委員会からの召還状が届くだろう。ICレコーダーが蛍に渡った時点で、金居の運命はもう決まっていた。
『じゃ、ちょっと静かにしてて』
 秋良と金居に目配せをし、蛍は再生ボタンを押した。

『ふーん……』
 数十秒の沈黙の後、イヤホンを外した蛍。
『ばっちり録れてるね。そこで寝てるやつらとの会話とさっきのも』
 そう言って蛍はイヤホンを取り外すと、レコーダーと共にポケットに入れた。
『これは風紀委員会で厳正に保管した後学校側に提出させて貰うよ。えーと……一年三組の金居君だったっけ?君と君の友達にはそのうち召還状出すから。ちゃんと委員会に顔出しなよ』
 うな垂れている金居にそう声をかける。金居は秋良に一瞥をくれてやった後、のろのろとその場を後にした。そして蛍はというと、今度は秋良の方へと向き直った。
『で、あんたはちょっとこっち来て』
『え?何で……』
 唐突に言われた言葉に、秋良は戸惑ってしまう。金居の取り巻きを殴ったことで何か処分が下されるのだろうか。
 一瞬そんな事を考えた秋良の背中に、容赦なく叩きつけられたのは蛍の掌。
『口答えしないッ!』
『痛ッ!』
 鋭い痛みが背中に走った後遅れて、パァン!と小気味良い音が暗い廊下に響く。
『ほら、来なさいって。あ、あとあたし一応先輩なんだから敬語』
 ぽつぽつと微かに明かりの灯った校舎の中を蛍が先導する。そちらの方向は風紀委員会が置かれている部屋があったような気がする。逃げるべきか、否か。前を歩く少女の背後で模索する。
 しかし、先程の金居の様子からして、風紀委員にはかなりの権限があるように思われた。クラスメイトが冗談めかして話していたあの噂も、どうやら真実らしい。それなら今ここで逃げたとしても、金居達と一緒に呼び出されるのがオチだろう。ここは、素直に従うべきなのかもしれない。
『はい……』
 秋良は力ない返事をして、蛍のあとに続いた。
 窓から見える街には、灯りが灯り始めていた。

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【2010/10/25】up (C)香山湊