#02.暗躍/ただ、平穏を望んだ灰は

 成績優秀、スポーツ万能。何をさせても周囲から頭ひとつは抜けていた秋良。そんな彼は高校に入学した当初から、学校中の注目の的だった。秋良がどこに行こうと好奇の視線は途切れず、校内では様々な噂が飛び交った。
 しかし、問題はその性格だった。引っ込み思案で、他人とのコミュニケーションを上手くとれない彼は、周りに間違ったイメージを抱かせた。人との関わり合いを避け、一人でいることを好む。皮肉屋で冷めた性格。それが周りの人間が抱く秋良のイメージだった。
 日本人離れしたアッシュグレーの髪と瞳が余計に秋良のイメージを悪くしていたのかもしれないが、遠巻きにされた大半の理由は彼の誤解された性格によるものだろう。
 そうしたこともあって、周りからは次第に人がいなくなり、噂も下火になった。ある意味秋良に平穏で、反面退屈な学校生活がやって来たのである。
 しかし、それも束の間。今度は秋良の才能を妬んだ一部の生徒達が、地味な嫌がらせを始めたのだった。
 最初は物が無くなったりする程度だったが、最近では机の中や靴にガラス片を仕込まれる程までにエスカレートしていった。
 その全てを完璧に無視していた、とある日のこと。しくじったのか、あるいは標的が変わったのか、秋良とは別の席にガラスが仕込まれていたらしく、その席の生徒が怪我をしたのだった。
 しかも一人だけではない。少なくとも数人の机にガラス片が入れられていた。幸い怪我をしたのは一人で、傷も浅いものだったが、その出来事が秋良の行動を起こすきっかけとなった。

 放課後、人気のない特別教室棟。日が西に傾き始め、校舎の中には人の顔がようやく分かる程の光しか入ってこない。その中の一角で秋良は、とある人物が来るのを待ち伏せていた。
 そして、ようやくそこに現れた人物は、秋良に嫌がらせをしていた生徒のリーダー格、金居という男子生徒だった。少し小柄な体格に、顔に浮かぶ薄笑い。小男の代名詞が似合いそうな男だった。そんな金居は余裕の笑みは崩さないまま、僅かにあとずさった。
『! ……天下の片瀬秋良サマが一般庶民に何か用?』
『……は、頭は回らないくせに口だけは達者だな』
 薄闇の中、二つの影が対峙する。
『俺が気に入らないんなら、直接俺のところに来たらどうなんだ』
『何の事? 僕には何が何だかサッパリ……』
 あくまでもとぼけるつもりらしく、金居はやれやれという風に首を振って見せる。そして、
『なぁ、お前らもそう思うだろ?』
 にやり、と笑みを浮かべながら秋良の背後へ呼びかけた。取り巻きを秋良の背後に忍ばせていたらしい。しかし、
『へ……?』
 金居へ応える声はない。すっとぼけた金居の声が、廊下に小さく響いただけだ。
『くそっ、あいつらどこに……』
 きょろきょろと必死に周りを見回す金居は、どこか滑稽だ。そんな金居を視界の端に捉えつつ、秋良はすぐ横の教室の扉にゆっくりと手をかけた。
『お前が探してるのは……』
 そして引き戸を勢い良く開く。
『こいつら?』
 バァン! という派手な音を立てて、引き戸が開けられる。扉の内側、教室の後ろの方のスペースには折り重なるようにして、五、六人の生徒が伸びていた。
『な……!?』
『こいつら、俺が嫌がらせの証拠を学校に提出するって言ったら、いきなり襲いかかってきてさ……』
 目を丸くして、口をパクつかせている金居の背後で、秋良がポケットから小型のICレコーダーを取り出した。
『ま、一部始終は録音させてもらったし。この結果は正当防衛って言えるな。それに……』
 こいつら自身が、こうもまんまと墓穴掘ってくれるとはなぁ……と小さく呟いた。
 そう、秋良が金居に出会う少し前のこと。たまたま見かけた金居の取り巻きに鎌をかけたのだ。証拠を握られたと信じた取り巻きは、言うことを聞かせようと秋良に殴りかかったが、逆に嫌がらせの証拠を与えてしまったうえに、残らず返り討ちにされたのだった。
『くそッ!』
『!』
 少しの間放心していた金居だったが、不利を悟ったのかいきなり秋良へ向き直ると、秋良の手からICレコーダーをむしり取った。
 そして秋良から少し距離を取ると、奪い取ったICレコーダーを形成逆転とばかりに掲げる。
『ははっ!これさえ壊せば嫌がらせの証拠は……』
『それを壊しても、お前はもう逃げられないよ』
『は……?』
 重要なデータを奪われたはずであるのに、何故か秋良は余裕だった。その余裕さが、余計に金居を苛立たせる。
 二人の対峙する中、轟音を立てながら特別教室棟のすぐ傍を列車が駆け抜けた。数秒の間聴覚を轟音に支配される。
 それが遠ざかった頃、秋良が口を開いた。
『誰がレコーダー(それ)で録音したって言ったよ』
『!』
『録音したのはこっち』
 ついでに今の自白まがいのセリフも。そう付け加えながら秋良が取り出したのは携帯電話。そしてその再生ボタンを押した。

『こいつら自身が、こうもまんまと墓穴掘ってくれるとはなぁ……』
『くそッ!』
『ははっ!これさえ壊せば嫌がらせの証拠は……』

 つい先ほどの会話がノイズ音と共に再生される。金居はぐっと息を詰まらせた。
 秋良は携帯を放り投げた。空中でそれを掴み、金居を見据える。
『これで……詰みだ』
『っ!』
 金居はICレコーダーを投げ捨てると、今度は携帯電話を奪うべく秋良へ殴りかかった。
『おっと』
 しかし秋良は金居の拳をさっとよけた。先程レコーダーを奪われたのは演技だったらしい。金居はバランスを崩したのか、べしゃっ、という音を立てて無様に倒れ込んだ。
『くそっ……。お前なんか気に入らないんだよ!何でも完璧にできるからって、僕らのこと見下しやがって…』
 ゆっくりと立ち上がった金居が顔を赤くしながら喚く。しかしそこまで言ったところで金居の言葉は途切れた。秋良が金居の胸倉を掴んだためだ。
『…勝手な思い込みで他人を巻き込むな』
 注目を浴びたいだとか、他人に称賛されたいなんて願望は、秋良の中にはこれっぽっちもない。
 むしろ今まで生きてきた中で、秋良の才能は決まって妬みの対象だった。

 望んでもいない能力のせいで、他人は他人のまま。
 一人孤独の中で佇み、安堵し、絶望する。
 少年は『普通であること』を渇望していた。

『――……』
 続けて口を開きかけた秋良だったが、金居から乱暴に手を離した。どさり、と床に崩れ落ちる。
 こんなものに構っている暇はない。証拠は握ったのだから、これを学校に提出するなり金居達が罰を受ける段取りは済んだのだ。
 出かかった言葉を何とか飲み込むと、廊下の隅に落ちていたICレコーダーを拾う。多少傷は付いていたものの、中身は無事のようだった。さっとデータを覗いても問題はなさそうに見える。  秋良はICレコーダーを仕舞うと、金居に背を向けその場を去ろうとした。
 そんな時、床に座り込んだ金居が口を開いた。
『はは……これでお前に近付く奴は居なくなったな。お前に近付いたら怪我するかもしれないってな……』
『! やっぱりアレもわざと……』
 背中越しに聞いた言葉に、秋良の中で静かな怒りがふつふつと湧いてきた。この感情は――。
『お前、とことん腐った奴だな……』
 ゆらり、と身体を金居へと向ける。ドクン、とやけに大きく血管が脈打つ音が聞こえた。
『ひ……』
 床に座り込んだ金居の胸倉を掴み、無理矢理立ち上がらせ叩きつけるように壁に押し付けた。ここで金居の顔にようやく戻ってきたはずの薄笑いが再び消えた。押さえつけていない方の拳を握り締め、思い切り腕を後ろに引いた。

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【2010/10/25】up (C)香山湊