#06.再会/緩やかに崩れゆくは、仮初めの平穏

「秋良の知り合いの方、ですか?」
「……」
 蛍は弥尋、と呼ばれた青年に軽く会釈する。自分より幾分大人であると雰囲気で察したのだろう。
 それに青年はにこりと笑って応えた。秋良は茫然としたように黙ったままだ。
「俺は、椎名弥尋(しいな/やひろ)。秋良とはちょっとした知り合いかな。腐れ縁とも言うね」
 少しクセのある黒髪を揺らして、椎名弥尋と名乗った青年は蛍の隣に座った。その自然な所作でさえも、洗練された大人を感じさせる。蛍の見立てでは二十代半ばといったところか。
「あたしは日高蛍って言います。秋良と同じ高校の…」
「へぇ。何年生?」
「二年生です」
「俺より二つくらい下かぁ……。じゃあ秋良の先輩になるんだね」
「え、はい」
「あ、敬語じゃなくて良いよ?」
「でも、椎名さんの方が年上だし……」
「弥尋で良いよ。敬語もなし。分かった?」
「はい……あ、うん」
「というか、俺のこと絶対二十歳以上だと思ったでしょ」
「! そんな……」
「蛍って正直だね」
「そういうわけじゃ……」
「ま、俺って老け顔だからねー。よく間違われるんだ」
 何事かを蛍と弥尋が話しているが、その内容は秋良の耳をただ素通りしていくだけだ。
 考えろ。考えろ。考えろ。意味を成さない命令が頭の中を駆け巡り、それが余計に秋良の思考を混乱させた。
「お待たせしました。オリジナルブレンドになります」
「有り難う。お姉さん、綺麗ですね」
 弥尋はコーヒーをカウンター越しに受け取ると、にこりと微笑んで見せた。
「あら、こんなイケメンのお客様に言われると、お世辞でも照れるわぁ」
「お世辞じゃないですよ。やっぱり日本の女性は綺麗な方が多い」
 そう言って、角砂糖を入れていく。一つ、二つ、三つ。結局四つの角砂糖を入れてかき混ぜると、申し訳なさそうな顔をして笑った。
「すみません、甘党なもので」
「良いのよ、好みは人それぞれでしょうし。あ、でも理想は角砂糖一つね」
 それがうちのコーヒーに入れて一番美味しいお砂糖の量なのよ、と付け加えて再び店の奥に引っ込んでしまった。弥尋は努力します、とその背中に笑いかけた。
『…何でここに。組織とはもう』
 関係ない。俺はもう、抜けたんだ。
 早口の英語でまくし立てた。しかし、
『…いきなり英語で話すものじゃない。蛍がビックリしてるよ?』
 半ば哀れむような表情を浮かべた弥尋に制されてしまった。
 蛍は不思議そうな顔をして、秋良を見ている。
 秋良は顔を伏せ、黙り込んでしまった。
『……』
「秋良、どうした?」
 何かを言おうとしていた秋良が、黙って俯いてしまったので、蛍はその顔を覗き込もうとしたが、秋良は手でそれを拒んだ。蛍は何か言いたげな顔をしたが、心配そうな視線を送るだけにしておいた。
「今のは軽い挨拶。秋良と俺はアメリカでしか会ったことがないから、話すときは反射的に英語に、ね」
 そんな秋良を無視しつつ、弥尋は話を続けた。蛍はそれに適当な相槌を打っていく。
「へぇ、秋良ってアメリカにいたことあったんだ。それに英語話せるなんて、流石」
「ほんの二年前までね。あまり会う機会はなかったけど、周りに同年代の知り合いはいなかったから、秋良と過ごした時間は貴重だったよ」
「弥尋は今までアメリカに?」
 弥尋がコーヒーを口にすると、今度は蛍が尋ねた。
「んー……そうだね。日本には少し立ち寄ったって感じかな」
 用事があってね、と意味深に付け加える。
 秋良は自身を落ち付かせようとコーヒーを口にしたが、そのカップが置かれる時意外に派手な音を立てた。
 落ち付け。もうアレとは関係ない。追われる理由もない。
 しかし、そんな思考に反して冷たい汗が秋良の背中を滑り落ちた。
「本当は仕事メインの来日なんだ。だからこんなカッチリとしたスーツ着てる。あまりこういうフォーマルな格好は苦手なんだけどね」
 そう言って弥尋はネクタイを緩めた。
「ふーん。弥尋ってもう働いてるんだ」
 コーヒーを一口啜って蛍が言った。
「うん、研究所みたいなところで……」
「帰ります。ご馳走様でした。代金はここに置いていきますから」
「え?ちょ、秋良……?」
 弥尋が話し始めた途端、秋良はすっと立ち上がると、いくつかの硬貨をカウンターに置いて入り口の方まで歩いて行ってしまった。
 突然のことに、蛍は戸惑っているが、それに対して弥尋は本心を悟らせない笑みを浮かべたまま、その背中を見送る。
「……またね、秋良」
「……」
 再び意味深なセリフを吐くが、それにこたえるべき人物はもう店の扉に手をかけていた。カラン、とドアベルが音を立てた。
「あ……入り口まで送ってくるね」
「はーい」
 慌てて秋良の後を追う蛍に、弥尋はひらひらと手を振ってこたえた。その笑顔は始終崩さないままに。
 蛍は何とも言えない居心地の悪さに、秋良の後を足早にを追いかけた。

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秋良のキャラを見失いかける回、第一弾←
基本テンション低め、演技派、でもやっぱりヘタレ。
ヘコみやすく、立ち直りにくい感じ。
と思っていただければ良いかな……?(ぁ
そういえばこれが今年最後の更新になると思います。
来年もどうぞ温かい目で見守ってやって下さい。
【2010/12/30】up (C)香山湊