S×S
1/2/3/4





-1-

「くっそ――!!」
 ロビン・イーストウッドは、ヤケクソ気味にそう叫びながら、森の木々の間を走り抜けた。
 もう秋も深まり、森は美しい赤や黄色に染まり、地面は柔らかな落ち葉で覆われ、そこかしこでどんぐりが日の光を受けて煌めく。しかし、彼にはその景色を楽しむ余裕などなかった。ただひたすらに走るのみである。
 何でこんなことに――!? 彼は、何度も同じ疑問を反芻していた。
「……ッ」
 チラリと後ろを振り返る。すると、先程飛び越えた小さな藪の中から、猫に似た獣が数匹飛び出してきた。
 一見かわいらしい愛玩動物の姿で彼の後を追っているように見えるが、少しでも彼との距離が縮まると、毛を逆立て鋭い牙を剥き出しにする、本来の魔物の姿へと豹変した。その口が開閉される度ガチガチという音が聞こえたが、ロビンは聞こえなかったふりをして今は足を動かすことだけに専念することにした。
 背後でかわいらしさと獰猛さがくるくると入れ替わる。そんな事がもう一時間近く続いていた。
「……やべっ」
 ロビンはピッチを上げた。集中力が途切れて、魔物との距離が詰まってしまいかけたのだ。魔物(あんなもの)に噛みつかれたら、腕の一本は確実に持っていかれる。追いかけてくるのは――五匹。追いつかれたら腕一本どころか骨すら残らないだろう。
 ふと、左手に握る長剣の柄(つか)に触れた。こんな森の中で長物は振り回せない。しかも、その剣は柄と鞘とを紐で固く縛り付けてあった。そんな状態では相手を斬りつけるどころか、剣を抜くことすら難しいだろう。
 ちなみに彼には二人の連れ(パーティ)がいるのだが、彼らには助けるつもりなど毛頭無いらしく、彼が魔物に追われ始めてから行方をくらませている。
(何とかしねーと……とりあえず開けた所に――!)
 ロビンは再びスピードを上げ、森の更に奥へと入り込んでいった。

「はっ……はぁ……ッ」
 数分後、ロビンはようやく開けた所に出た。そこは少し開けた草地で、燦々と太陽の光が降り注いでおり、草はさわさわと風に揺れていた。
 奥に進むにつれだんだん薄暗くなってきた森の中で、その空間だけは光っているように見えた。だからこそ、森の中を闇雲に走り回っていたロビンにもそこに辿り着くことが出来たのだった。
 柔らかな太陽の日差しと、風に揺れる緑の絨毯。
 ――正直、そこに倒れ込みたい。ロビンは本気でそう思った。
 魔物の群れに追われ始めてから一時間近くは経っていただろうか。その間走り詰めで、喉は痛み脚は重かった。
 彼は一息、盛大に溜め息をついた。そして静かに息を整えると、今自分が草地へと入ってきた方へ向き直った。
 森の中で魔物を少し引き離したはずだが、逃げ切れた訳ではないだろう。案の定少し時間が経てば魔物が飛び出してきた。そして、飛び出してきた勢いでロビンとの距離を詰める。その鋭い牙の生えた口の隙間からは、酷く飢えているかのように涎がだらだらと垂れていた。
「あー……やる気満々だな、オイ」
 長時間のマラソンで浮かんだ汗とは別のものが額に浮かんだが、そのことを悟られないよう余裕の表情で笑って見せた。
 ロビンは長剣の柄に手を掛け、どうしてかその鞘に収まったままの切っ先を魔物に向け構えた。
「そんじゃ……行くぜ!」
 魔物の群れに向かって大きく踏み込み、剣を大きく振り翳す。
 魔物の群れは、返り討ちにしてやるという風に身を低く伏せたかと思うと、一斉に飛びかかった。
 剥き出しにした鋭い爪と牙、そして悪意。それがロビンに届こうとした刹那、全て弾き飛ばされた。
 一瞬、何が起こったのか分からず無防備に宙に舞う魔物の身体。それは地面に落ちる前に、灰のように霧散した。
 ロビンは振り上げていた剣を下ろすと、風に消えていく魔物の残骸を見つめた。そのブラウンの瞳はどことなく悲愴さをたたえていたが、それを誤魔化すようにゆっくりと瞬きをすると、背後の木――厳密にはその樹上に向かって、不機嫌そうな声で呼びかけた。
「……どういうつもりなんだよ。ルーク、シオン」
 ロビンの言葉の一瞬後、二つの影が草地に下り立った。
 一人はすらりとした青年。もう一人は小柄な少女だった。二人共、彼の旅の同行者である。
「この程度の魔物に時間かけてんじゃねぇよ」
 青年――ルーク・レオンハルトがガシガシと頭を掻きながら、呆れたようにため息をついた。
「ったく……」
 整った顔立ちに鋭い深緑の瞳、その右側は眼帯で覆われ、更にその上から長い前髪がかかっている。黒を基調にしたシックなシャツやベストをラフに着ており、ピアスや指輪など身に付けたアクセサリーが目を引く格好だった。
 彼は一行のいる地域から遥か北に位置する、学術院を最短・最年少で卒業した実力者で、この世界――レイラント・ローグの最大国である中央公国の認定を受けた一級魔導師。
  その実力は伊達ではなく、戦闘では魔物を一掃してしまうほどで、面倒くさがりで皮肉屋なところを除けば頼れる同行者である。
「怪我はない、ですか?」
 ルークとは逆に、心配そうに声をかけたのはシオン・フウマ。
 優しげな顔立ちに、華奢な身体を持つ美少女だ。着物に酷似したエキゾチックな衣服を纏い、薄桃色のストレートヘアに蝶の髪飾りを付けている。
 季節の移ろいを愛し、穏やかでどこか儚い印象を周囲に与えるシオン。しかし、時に凛と張り詰めた空気を纏う彼女は、東の自治国家ヤマトの人気芸人一座で活躍していたことを窺わせる。
 実際、彼女固有の武器である暗器と身のこなしに長けており、小柄な身体ででも敵を一瞬で戦闘不能にさえしてしまう実力を持っていた。
「怪我はねーけど…」
 オレンジがかった短髪にブラウンの瞳。背中に長く垂れている赤いマフラーが印象的な少年がロビンである。
 明朗で自分の思うことにひたすら突き進んでいこうとする性分だった。ただ最近では塞ぎ込んでしまう時や、苛付きを仲間にぶつけるようなことも繰り返しており、その精神はやや不安定である。
 戦闘では長剣を両手で持ちかえながら戦う変則的なスタイルが得意で、年齢の割にやや小柄な身体を生かして相手に切り込んでいくことが多い。
「それよりオレが聞きたいのは、何で二人が居なくなってたのかってことなんだけど。森の中じゃオレの剣が使えねぇことくらい分かってんだろ?」
 当然と言えば当然である。鬱蒼と木の生い茂った森では長剣は使い物にならない。逆に敵の通るルートが限定される場所は中・遠距離攻撃を得意とするルークやシオンにはうってつけだろう。しかし、どうしてか二人は魔物が現れた途端に姿を消してしまったのだった。
「私は加勢しようと思ったのですが…」
 少しの沈黙の後、申し訳無さそうに口を開いたシオン。そこまで言った後、チラリとルークを見上げた。
「ルークに止められてしまいまして…」
 小柄な身体に加えて軽装。本人は知らぬ風を決め込んでいるようだが、いざとなったら魔術で拘束もすることが出来るルークにとって、シオンを止めることは容易だったのだろう。その後はルークに牽制されながら魔物に追い回されているロビンを木の上から見ていたらしい。
「あの…ごめんなさい」
「あー…シオン、もういいって。頼むから頭上げてくれ」
 真摯に頭を下げるシオン。それが彼女の国特有の謝り方と言っても、何だか自分が悪いことをしたような後ろめたさを感じて、慌てて止める。今まで何度かそんなことがあったが、未だにその仕草には慣れない。
 ロビンは何とかシオンに頭を上げさせた後、今度はルークの方へ向き直った。
「何で――」
「話す義理はねぇ」
 即答。ロビンが言い終わるのを待たず、ルークは答えた。
「はぁ!?」
「わわっ、ロビン抑えて下さい! ルークもどうしてそんな言い方するのですか?」
 ルークに殴りかかろうと、拳を振り上げるロビンとルークの間に入って慌てて仲裁するシオン。ロビンとルークはシオンを間に挟んだまま、睨み合っている。
 何度も二人の喧嘩――というか一方的にロビンがルークに突っかかっているだけなのだが――を仲裁していたシオン。しかし今回ばかりはルークの雰囲気が普段とと違う気がして、黙っていることにした。ロビンはそれに気付いていないようだった。
「…じゃあ、答えろよ。何でその剣を抜かねぇのかを」
 シオンが黙った後、ルークが口を開いた。
「!!」
「剣…?どういうことです?」
 ルークの言葉に、ロビンはハッとしたような素振りを見せ、自身の足元へ目線を落とした。
 シオンは二人の間で疑問符を浮かべている。
「俺達が旅を始めてから、結構な数の魔物と戦ってきた。 でもお前、一度も剣を抜いてねぇだろ」
「!」
 自分より少し背の低いロビンを見下ろすように、ルークは続けた。
   シオンはそういえば、という風な表情を浮かべていた。三人が旅を続けて早数か月、一度もロビンは剣を抜いた事はなかった。旅を始めて最初の方は不思議に思っていたのだが、慣れてしまった最近では気にもならなかったのである。
「お前は鞘ででも一発で仕留めるところから見ても、かなりの使い手だ。お飾りで剣持ってるやつじゃねぇ」
 ここで少し間を開けた。
 確かにロビンの戦闘スキルには目を見張るものがある。粗削りだが芯のある剣の扱い方で、誰か高名な人物に鍛えて貰っていたような跡も見せる彼は、決して素人ではないのだろう。それなら、どうして――?
「なら、何でお前は剣を抜こうとしねぇんだ? ……そうまでして」
 シオンの心を知ってか知らずか、ルークが同じことを口にした。そして、ロビンの持つ剣に目を移す。剣は丈夫そうな紐でしっかりと柄と鞘を結びつけられていた。まるで刃を封じ込めるためであるかのように。
「…どうなんだよ」
「…ねぇだろ」
「あ…?」
 ようやく小さな声でロビンが言った。視線はまだ彼の足下のまま。ルークはその声を拾い切れず、聞き返した。
「お前にはカンケーねぇだろって言ったんだよ!」
 吐き捨てるかのように言う。その声には、先程魔物が灰となっていく時に垣間見せた悲痛さも混じっていた。
 シオンは突然の大声に、びくりとその小さな身体を震わせる。
「……ンだと?」
 酷く苛立った様子で、ルークがロビンの胸倉を掴んだ。
「ルーク、やめて下さい!」
 シオンはルークの腕を掴んで抑えようとした。しかし、ルークはそれに構わず、再び口を開いた。
「イライラすンだよ、お前見てると。魔物片す度に訳分かんねぇ顔しやがって……!」
 胸倉を掴んだまま、さらに引き寄せる。
 今までに何度もあった魔物との戦闘。ロビンは灰となって風に消える魔物の残骸を見て、何かを思い出したかのような悲愴な表情を見せるのだった。
「お前に何が分かるんだよ!」
 今度はロビンがルークの胸倉を掴み返し、叫ぶように言い返す。
「何も知らないお前に何が分かるっていうんだよ……!!」
「ああ分からねぇな! 何も言わねぇでウジウジしてるお前のことなんかよォ!!」
「てめぇ――」
 ロビンは思い切り拳を振り上げる。その手に持っていた剣が、静かに草地に沈んだ。
「二人共いい加減にしなさいッ!!」
 互いに相手に殴りかかろうと、腕を思いきり引いていた二人だったが、シオンの方へ同時に振り向いた。
 普段は温厚で滅多なことで怒らない彼女が、肩を怒らせ叫んでいる。慣れない怒鳴り声のせいか、一度深く呼吸して続けた。
「ロビンの過去に一体何があったのか、私達二人は何も知りません。それについてルークが腹を立てる気持ちも分かります。ですが、傷付け合ったって何も変わらないでしょう…?」
 二人の腕を制止する腕に力を込める。その手は僅かに震えていた。
「チッ……」
 ルークは乱暴にロビンから手を放すと、自身に掛けられた彼の手を払いのけた。そして、脇にあった木に持たれかかり腕を組んだ。下を向いているその表情は窺い知ることは出来ない。
 ロビンは俯いて、地面に落ちた剣を見下ろしていた。そしてぽつりと語り始めた。
「オレの本当の名前は……ロビン・エヴァンズ」
 その名前に二人が反応した。
 そして、とロビンが続ける。
「オレはこの剣で……」
 屈んで剣を拾い、その刃を収める鞘に小さく刻んである名前を、静かに指でなぞる。立ち上がって太陽に翳すと、括り付けた紐で隠れていたその金字は、太陽の光を受けて煌いた。
「兄貴を――クロノ・エヴァンズを殺したんだ……!!」



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-2-

 クロノ・エヴァンズは英雄『だった』。
 四年前、世界を混乱に落とし込んだ過去最大の大災厄――『神ノ黄昏(ラグナロク)』の原因であった魔物を、最果ての孤島で葬り去ったことによって、その名声は頂点へと登りつめた。
 誰もが彼を尊敬し、彼の凱旋を祝福しようと世界中の人々が彼の帰還を待ちわびていたのだが、彼はその途中で忽然と姿を消した。
 『魔物と相打ちだった』だの『決着の後、弱ったところを誰かに襲撃された』だの多くの憶測が飛び交った。中には『本当の黒幕はクロノ・エヴァンズではないか』などという、根も葉もない噂も流れたという。
 何人もの人間が彼の行方を追ったが、四年経った今でも彼は見つかっていない。

「お前があの『エヴァンズ』だと? それにクロノ・エヴァンズを……」
「あの『神ノ黄昏』を食い止めたあの人、ですか……」
 ルークはクロノ・エヴァンズの名前に強く反応し、顔を上げた。シオンも驚いたように大きく目を見開いている。
「俺が……殺した」
 ぽつりと言った。
「今でも夢に見る……。兄貴の左胸に食い込んでいく刃の感触を……心臓を貫く刃の冷たさを……ッ」

 兄貴の胸に深々と剣を突き立てたまま、呆然とするオレ。
 頬を伝う赤い液体。
 兄貴の身体を貫いた刃の鈍い輝き。
 だんだんと熱を失っていく兄貴の身体。
 虚ろな瞳、そこにうつるのは血に塗れたオレの姿。
 誰かの叫び声。いや、これは――オレの声だ。
 忌まわしい過去を紡いでいく。剣を握る左腕が震えていた。
「それから、この剣の刃を見られなくなった。。あの時を思い出して、おかしくなっちまいそうだったから……」
「それでも……手放せなかったんですね、その剣は」
 ロビンの告白の後、黙りこくっていたシオンが口を開いた。
   兄を刺し貫き、その命を奪ってしまった証が、この剣だった。鞘に刻まれた名前が見えるたび、責められているような気分になった。それでも。
「……ああ。オカシイよな、触るだけでおかしくなりそうなのに……近くにねぇとどうも落ち着かなくて、さ」
 自嘲気味に笑いながら、剣の柄を見つめる。
 憧れの兄が大切にしていたこの剣。
 それを振るって兄はたくさんの人を守っていた。
 その兄の真剣な顔を映していたその刃は。
 あの日から、鞘に収まったまま。
「だから決めた。これからは剣を抜かずに生きていこうって。この紐を決意の証に――」
「何か、おかしい……」
 暫く口を開かなかったルークが考え込むように、顎に手を当てていた。
「……そうだな。兄貴を殺した後、のうのうと生きていられるオレはおかしいんだ――」 「そういうんじゃねぇよ」
 ロビンの言葉をそう遮ると、ルークはつかつかとロビンの方へ足早に歩き出した。
「は……?」
「ルーク……どういうことです?」
 ルークの様子に、無意識に後ずさるロビン。シオンは訳が分からないという風に眉を潜めていた。
「今コイツが話したことは粗方真実に近いもんだろう。だが……エヴァンズを殺した時の様子が引っかかる」
 じろりと、ロビンの身体全体を眺める。
「おい、ルーク……」
「何か隠してることでもあんのか? ……いや、お前――」
 彼なりの結論に達したのか、ロビンの顎を掴んで上を向けさせた。そのまま顔を寄せ、至近距離でロビンの顔を観察する。
「ちょ、やめ――痛ッ」
 何とかルークの手を振り解こうとしたが、涼しい表情のままの彼に左腕を痛いくらいきつく掴まれ、大人しくしているしかなかった。
「……」
 明るいブラウンの瞳の奥に彼は一体何を見たのか。ルークは漸く確信を持ったように言った。
「お前、魔術で記憶操作されてんな」
「はぁ!?」
 本当に訳が分からない、と言った風な声を上げる。
「ルーク、ちゃんと説明してください! 私には何が何だか――」
 説明を求めるシオン。すると今度はシオンの方へ屈み、ぼそりと耳打ちした。
『少し離れてろ』と。
 シオンは何か言いたげに口を開いたが、風がルークを取り巻くように吹き始めたのを見ると、何も言わず草地の端まで退いた。
「ったく……。こんなことすんのはもしかしなくてもあのジジイだな……クソッ、こんな面倒な術式使いやがって……」
 遥か北にいるであろう自分の師に悪態を吐く。そしてシオンが十分に離れていることを確認すると、ロビンの方へ向かい直った。
「今からお前の記憶操作を解除する。このテの術式の解除は一つづつ慎重に鍵を開けるってのがセオリーだが……あのジジイのことだ。相当複雑な術式を何十と読み解かなきゃなんねぇ……が、俺はそんなまどろっこしいのは嫌いだからな。一気にこじ開ける。なんか微妙に歪んだ術式だが…ま、イけるだろ」
 そう言うと、ルークの手の中にぼんやりと黒い塊が現れた。それはすっと輪郭を形作ると、一瞬で黒い本へと変化した。漆黒の表紙に金字で刻まれた、ずっしりと辞書のように分厚いそれが、彼の武器であり、魔術を使う上での媒体だった。
「だからオレが兄貴を殺したって言――」
「お前……自分で薄々気付いてる節、あるんじゃねぇ?」
 我慢出来ないという風に、ロビンが口を開いたがルークに遮られる。
「……どういうことだよ」
「そのままだ。腹は立つが、ジジイが術をしくじる訳ねぇんだ。それなのに何故か術は微妙に歪んでる。その歪みの影響がお前に出ててもおかしくねぇってこと」
「…………」
 ロビンは口を閉ざした。
 暫くすると、漸く観念したように告白した。自分の記憶への確かな疑いを。 「本当は……曖昧なんだ、オレが兄貴を刺した前後の記憶が……。兄貴が『神ノ黄昏』討伐から帰ってくるのを待っていただけなのに、いつの間にか、オレが兄貴を刺し殺してる。その後は……分からない。目が覚めたら……オレと、兄貴の住んでた家のベッドで寝てた」
 一つ一つの言葉を搾り出すようにして話す。
「その時、兄貴が討伐から帰ってこないまま行方不明だと知った。でも、オレは確かに……ッ」
 今でも思い出せる、あの日の全てを。
 頬を伝う液体の温かさを。
「お前の中で、その記憶だけがやけに鮮明なのはおかしくねェか?単純な殺人だってそこに至る経緯を覚えてることが多い。何で殺意のなかったお前の記憶が半端にリアルなモンなんだろうな?」
「…………」
 少し離れた所では、二人の話している内容を聞くことが出来ないシオンが、心配そうに見守っている。
「兎に角、これでハッキリするだろ。……ロビン、左目閉じとけ」
「何で――」
「ほら、さっさとしろ」
 そう言った後、ルークは一度深く息を吐き出し、精神を集中させる。バサリ、と分厚い魔導書を開いた。
 一気に噴き出した魔力で、ざわざわと周りの木々が揺れた。シオンも魔力に当てられ、ビクリと身体を震わせる。
「…………ッ」
 ロビンはぎゅっと左目を閉じ、身体を固くさせた。
 それを見ると、ルークは片膝を立て地面に左手を付いた。
 そして始まったのは、魔方陣の構築。彼が手を付いたと同時に、拡散していた魔力が一気に左手に集中した。幾つもの魔方陣が地面に浮かび上がっていく。十二の魔方陣が二人を取り囲むようにして構築されると、今度は二人の立つ場所を中心に、一際大きな魔方陣が浮かび上がっていった。複雑な文様や古代文字が所狭しと刻み込まれているそれは、一種の芸術にも見える。
 構築が終わった後、ルークは立ち上がり一度深く息を吐いた。
 構築は完璧だ。あとは――。
「こっからが本番だ。……いくぜ」
 ルークは左手をロビンの右目に当てた。その瞬間魔方陣が光り輝き、渦を巻くように形を歪ませながら、中心――ロビンへと集まり始めた。
「ぅあ゛……ああああああっ!!」
 その途端、ロビンの顔が苦痛に歪んだ。魔方陣の発動と同時に、直接脳を蹂躙されるかのような痛みが走ったのだった。ただ意味をなさない叫びだけが、口から漏れ出す。思わず自分の右目に当てられたルークの手を引き剥がそうと、強く掴んだ。
「くっ……!」
 ロビンの痛みがルークにも伝わり、額に汗が浮かんだ。右目から手を放さないように、頭ごと掴んだ。ロビンの頭には玉のような汗が浮かんでいる。
「ああっ……!」
 徐々に魔方陣の凝縮は進んでいく。しかし、閉ざされた記憶を無理矢理抉じ開けるための代償は凄まじく、下手をすればロビンやルークの精神が崩壊しかねないという状況である。
「…………ッ!!」
 先に訪れるのは、記憶操作の解除か。あるいは精神の崩壊か。
 ルークはより一層の魔力を込め、ラストスパートをかけた。
 自分の仲間が苦痛を乗り越えてくれることを。そして痛みを乗り越えて尚、彼のままで居てくれることを、無意識下で願いながら――。
「――――!!」
 完全に魔方陣が消えたのと、ロビンが叫び声にもならない声を上げたのは同時だった。そしてロビンの右目から何かが彼の頭上へと、一筋の光となって舞い上がった。
 がくり、と崩れ落ちるロビンの身体。
 ルークはそれを受け止めると、地面に寝かせた。すぐに呼吸や心音を調べる。
 気を失っている以外は特に異常はないようで、安堵したように自身も草地へと座り込んだ。
 つう、と汗が伝う。大きく息を吐き出した。
「ふ――……」
「ロビン! ルーク! 大丈夫ですか!? それに、あれは――?」
 とても心配した様子で、駆け寄ってくるのはシオン。そして頭上の光を見上げた。
「あれは、こいつの本当の記憶だ。誰にも干渉されてない、こいつ自身の」
 ルークも座り込みながら、それを見上げる。
 ロビンの瞳から放たれた光の玉は、中空に留まり明滅を繰り返している。
「ん……」
 その時、ロビンが目を覚ました。のそり、と身体を起こす。シオンはすぐに彼の元へ駆け寄り、膝を付き顔を覗き込む。
「ロビン! 大丈夫なんですか?」
「……あぁ、多分。さんきゅな、シオン。それと――」
 座り込んだままのルークを見つけたロビンは、礼を言おうと口を開いた。
「あーもう! あンのクソジジイ!! 次会ったら絶ッ対にぶっ殺す!!」
「うおっ……ルーク!?」
「どうしたんですか!?」
 突然、大声を上げるルーク。普段の彼では考えられない行動である。安堵に包まれていたロビンとシオンの二人は、突然のことにビクリと身体を震わせた。
「こんな割に合わねぇ……しかも後味の悪そうなことさせやがって……! いや……ただ一思いに殺るだけじゃ収まらねぇな。まず生皮剥いで……」
 二人の言葉は彼には届かず、ブツブツと恐ろしい独り言を言い続ける。ロビンが慌てて止めに入った。
「ルーク、落ち付けよっ。とにかくこの状況を説明してくれ」
「ん? あ、あぁ。あの光の玉は本当のお前の記憶だ。多分じきに――」
 ルークが見上げながら言いかけると、二人も頭上に浮かぶ光の玉を見上げた。先程は明るく瞬いていたそれは、次第に弱まっていった。
 そして一際大きく瞬いたかと思うと、パンッという音と共に弾けた。無数に舞い落ちるのは光の粒子。太陽光の反射ではなく、それ自身のもつ輝きだった。
「綺麗だ……」
「これがお前の記憶だと思うと、物凄く残念な感じがするがな」
「てめぇ、この期に及んで……」
「ルーク! やめて下さいってばもう!ロビンも!」
「うっ……」
「はいはい」
 舞い落ちる光の粒子に思わず手を伸ばしたロビンに、ルークが早速皮肉った言葉を投げかける。二人の反応を適当にあしらいながら、自身も手を伸ばした。
 まったく……と溜息をつきながら、シオンも落ちてきた粒子を手の平で受け止める。
 草地全体に降り注ぐ、光の粒子。それに触れると、辺りの景色が意識からフェードアウトしていく。代わりに現れたのは小さな木造の部屋の風景だった。



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-3-

「兄貴、どうしたんだ? ナッシュさんに呼ばれてるぞって言われたんだけど……」
 オレはガチャリ、とその木造の部屋のドアを開けた。
 部屋の中では兄貴が窓際の椅子に座って、愛用の――あの長剣を磨いていた。

   ――あぁ、これは兄貴が最果ての孤島から戻ってきた時だ。

 オレは近くの街まで無理を言ってついて行ったんだっけ……。
 ロビンは光の粒子によって甦りつつある記憶を辿りながらぼんやりと思った。
「あぁ、ロビンか。ちょっと」
 兄貴は俺に気付くと、手招きした。
 所々包帯に覆われた身体。僅かに薬の匂いがする。
「おい、動いて良いのかよ」
「いや、もう大丈夫だ」
「……左腕は大丈夫じゃねぇじゃん」
 チラリ、と剣を押さえる左腕を見る。兄貴の利き腕だった左腕は、包帯と添え木で固定されている。医者の話だと、相当酷使されたせいで、使えるまでにかなりの時間がかかるらしい。
「まぁ……不便なのは不便だけど、これはそのうち治るしな。……あ、でもこれじゃあ暫くロビンの剣の稽古の相手してやれないか」
 苦笑して答えた。
「それでも、良かった。兄貴が帰ってきて」
 唯一の肉親である、兄貴。物心つく前に両親を亡くしていたオレには、兄貴しか居なかった。
「これからはゆっくり休めよ。オレのことはいいから」
「あぁ、そうさせて貰うよ」
 剣を鞘に納め、にこり、と笑って見せた兄の顔が突然苦痛に歪んだ。
「ぐっ……!!」
「兄貴!?」
 左胸を押さえたまま床に倒れ込んだ。ゴト、と剣が床に落ちる。
 オレは何が起こったのか分からず、ただ兄貴の傍で膝を付くことしか出来なかった。
「ちょ……誰か!! 兄貴が――」
「良いんだ……はぁっ……ロビ……ン」
 ぜえぜえという荒い息遣いの中、途切れ途切れに兄貴が言う。
「何が良いって言うんだよ!? ちょっと待ってろ、誰か呼んでくるから!」
 部屋の外へ助けを求めに行こうと、立ち上がろうとしたオレの腕を強い力で兄貴が掴んだ。
「こ……こに、いてくれ……」
 兄貴はそう言って身体を起こすと、着ていたシャツの胸元を肌蹴た。その下は包帯で覆われていたが、半ば引き千切るようにして解く。
「兄貴、傷が……って、え……!?」
 包帯を解いた後は、傷が顔を出すと思っていたオレだったが、その下にはオレが予想もしていなかったものがあった。
「なんだよ、それ……!?」
 兄貴の引き締まった身体に黒々とした文様が浮かび始めていた。
「どう、やら魔物に……呪いを……かけられたら……しいな。……これが全身に広がったら……多分俺は……引き起こす。……第二の『神ノ黄昏(ラグナロク)』を」
 少し呼吸が落ちついたらしい兄貴が、語る。
「第二の『神ノ黄昏』……!? どういうことだよ!? それに呪いなら尚更診て貰った方が――」
「もう……手遅れだ。ロビン……剣を取れ。それで俺を殺せ」
「な……!? 冗談はやめろよ。なぁ、兄貴!」
 オレは無理に笑って聞いたが、兄貴は静かに首を横に振っただけだった。
 オレはただ呆然とした。確かに傷は負っていたけど、さっきまであんなに元気そうだった兄貴が――?
「何……で……!?」
 兄貴が汗ばんだ手で、呆然としたオレの手に剣を握らせる。
「俺は見たんだ。……俺が倒した魔物は……ヒトの形をしていた。その身体にはこれと同じモノが……」
「!?」
「だから……殺せ」
 兄貴は、柄を握らせたオレの手を上から包むように握り、切っ先を文様の中心――自分の心臓へと向けた。
「兄貴……こんなの嫌だ……ッ」
 我慢し切れなくなったオレは、ついに涙を零した。
「オレ……に、は出来ない……ッ」
 止めど無く流れるそれで、視界が醜く歪む。
「後の事は……上手く計らってくれるよう頼んである。だから……俺が正気でいる内に――」
 そして兄貴は笑った。いつものような柔らかな表情。
「剣の稽古に付き当てってやれなくてごめんな、ロビン」
「うぁ……ああああああああああああっ!!」
 兄貴が自分に向かって刃を進めるのと、オレが刃を兄貴に突き立てたのは、ほぼ同時だった。
 訳の分からない叫びを上げながら、柄まで一気に突き刺す。
 飛び散り、オレの頬を伝う暖かな紅い液体。漂い始める血の、匂い。
 突き刺した剣は、濡れた刀身をランプの光に煌かせていた。
 それを兄貴の肩越しに、オレは見た。
 途端に震え出す手。言葉にならない声ばかりが、口から漏れ出した。
「ああ……あ……!!」
「ロビ……ン」
 兄貴が荒い息を吐きながら、切れ切れにオレの名前を呼んだ。
「ごめ、んな……こんなことさせ、て……」
 そう言ってオレの頭を撫でる。
 それはオレがまだ小さかった頃、近所の子供にケンカで負けては泣き出す度に兄貴がしてくれた仕草だった。
「あ、にき……ッ」
「辛かった、ろ……本当に、ごめん……」
「…………ッ」
 オレは兄貴の首筋に顔を埋め、ただひたすら嗚咽した。
「でも……これで、安心して逝ける……」
 頭を撫でる手の動きがだんだんゆっくりになる。
「ありがとな、ロビン――」
 そう言って、ゆっくりと傾き出す兄貴の身体。俺の頭からするり、と離れていく、大きな兄貴の掌。
「兄貴――」
 ゴトリ。
 倒れた兄貴の身体はもう、動かない。ただ血の染みが広がっていくだけだった。
「ぅあ……誰か、誰か来――」
 立ちあがろうとしたが、足が動かない。ずるずると這うように扉へ向かった。

「やはり、こうなったか」
 すると、突然背後で老人の声がした。上手く動いてくれない身体で振り向く。
 振り向いた先には、白く長いヒゲを生やした長身の老人がいた。少し屈みこんで、兄貴の様子を見ている。
 兄貴の方へ戻ろうと、立ち上がったがふらふらとして上手く歩けない。かろうじて近くにあったテーブルの淵を掴んだ。
「アンタ……何だよ。オレの兄貴に何してんだよ!」
「わしはクロノに事後処理を頼まれた者じゃよ」
 振り返らないまま、さらりと答える。
「クロノが言っておった時は駄目かと思うたが、これなら……」
 ぶつぶつと呟くように言った言葉に、オレは即座に反応した。希望の光が一瞬、見えた。
「助かる……のか!? どうなんだよ、ジイさん!!」
「助からぬことはない。が、そのためには条件がある」
「条件……!?」
「あぁ、条件じゃ。そしてそれはぬしが負わねばならぬ謂れなき咎」
 ジイさんは大きく頷いた。
「オレ……何でもやるよ。だから兄貴を……」
「それが何か言っておらぬのにか?」
 少し驚いたように、ジイさんが言う。
「たった一人の兄貴なんだよ……!!」
 搾り出すように、言った。もう、縋るのは目の前のジイさんしかいなかった。
「そうか……覚悟あるんじゃな?」
「……ある」
 オレの答を聞くと、ジイさんは兄貴の身体に手を当てた。その瞬間、床に黒々とした染みを作った血も、オレに飛び散り頬を伝う血も、兄貴から染み出した全てが渦を巻いて、空中に集まり始めた。
「!?」
「条件は……ぬしの記憶を封じることじゃ」
「な……!?」
「そうと言っても、封じるのは今日一日のこと。『クロノ・エヴァンズは帰っては来なかった』そういう記憶と擦りかえるだけじゃ」
「――――!?」
 予想外の条件に、オレは言葉を無くした。
「余計な混乱を起こしたくはないのじゃよ。今回『神ノ黄昏(ラグナロク)』を引き起こしたのは、人間に寄生し乗っ取る魔物。そして他の魔物を使役して破壊の限りを尽くした。それがクロノに取り憑いたのじゃ」
 大方戦闘中にやられたのじゃろう、と付け加えた。さらに続ける。
「先のお前の働きで完全には消滅したじゃろうが、そのことを世間が知ったら大混乱になる。無用な争いを避けるためじゃ」
 淡々と語る。
「もちろん、ぬしはこの事をべらべらと喋くるような者ではないじゃろう。じゃがの、ぬしは『あの』クロノ・エヴァンズのたった一人の肉親じゃ。もしそれを知る良からぬ者にその事を喋らされたら、元も子もない。クロノの帰還を知る者は、ぬしも含め記憶を摩り替えねばならぬ。それでも、良いのか? まぁ、ぬしにとっても今日の事は忘れておった方が良いと思うのだが……」
「それで兄貴が助かるなら、記憶でも何でも……!!」
 オレはジイさんの前に縋るように膝を付いた。
「……そうか」
 そう言って手を振ると、渦を巻いていた血液がずるずると兄貴の傷口に戻っていった。そして剣が抜け、見る間に傷口が塞がっていく。
「兄貴……!!」
 何とか兄貴の元へ行って、身体を揺すったが反応がない。ただただ眠っているかのような穏やかな顔をしているだけだ。慌ててジイさんの方へ振り向く。
「どういう――!?」
「心がの、眠っておるのじゃ。一度その魔物を身体に宿したことで、クロノの心はボロボロになっていったのじゃ。このままでは誰かをこの手で殺めてしまうかも知れぬ。もしやそれは自分のたった一人の弟やも知れぬ――とな」
「…………ッ」
 オレは言葉を詰まらせた。
「クロノとはそれなりの付き合いじゃったが……いつもぬしの事を話しておった。ぬしがいつかクロノを越えた剣士になる、とな。わしも口の悪い馬鹿弟子と良い勝負じゃと笑いながら言ったものよ」
 穏やかな寝息を立てる兄貴を見るジイさん。
「何か……方法はないのか……?」
 何か、兄貴のためにしたかった。今まで兄貴に色々なものを貰ったから。何かを返してやりたかった。
「分からぬ」
 きっぱりと答えた。
「そう、か……」
 肩を落とすオレ。一体いつ目覚めるかも分からない兄貴を、待ち続けることしか出来ないのか――?
「だが、不可能ではないじゃろう」
「そうなのか!?」
 がばっ、と顔を上げる。ジイさんは頷いた。
「世界は広い。わしの知らぬ方法があるやも知れぬ。じゃから……」
 ここで一旦、言葉を切った。
「旅に出るのじゃ。世界を渡り歩き、剣の腕を磨け。クロノを目覚めさせる術を見つけるために」
「…………!!」
 ジイさんは、一つ大きく息を吐いた。
「……こんなところで良いじゃろ。さぁ、今度はぬしの番だ」
 そう言って、ジイさんはオレの方へと向き直った。
「兄貴、オレ頑張るからな。待ってろよ」
 そうとだけ言ってオレは立ち上がった。もう、足は震えない。しっかりと自分で立てる。
「旅をしている内に、いつかまたわしと会うだろう。その時は、ぬしの記憶を返してやろう。その時には、ぬしも強くなっておろうからのぉ」
「……あぁ」
「ならば……もう、良いな」
 オレは無言で頷いた。そしてジイさんはオレの右目に手を当てた。
「いつか、また会おうぞ。ロビン・エヴァンズ――」
 その言葉を最後に、オレの記憶はブッツリと途絶えた――。



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-4-

「…………」
 光の粒子が見せた、ロビンの記憶の断片。三人は放心したように、ただ空を見上げていた。
「それから……オレは、いつの間にかオレの家で寝てた。家に届いていた新聞には、兄貴の行方不明を知らせる記事。兄貴の知り合いの神官様に助けて貰って、オレは名前を変え別の街に移り住んだ。そうして二年が経った。あちこちで起こる、魔物の大量発生、狂暴化――。その時、俺の中の何かが疼く感じがした。何故か移り住んだ先に届けられた、兄貴の剣を持って、俺はすぐに街を出た。それからルークやシオンと出会って――」
 淡々と淀みなく話すロビン。シオンはぽろぽろと流れ出る涙を拭った。ルークは空を見上げたまま動かない。
 ロビンが話し終わると、舞い落ちる光の粒子が消え去るまで、三人は無言だった。

「……そういうことだったのか」
 最初に口を開いたのはルークだった。何かに気がついたような口調である。
「ルーク……?」
 突然忌々しそうに呟くルークを見て、ロビンが声をかけた。
「くそッ! 全部仕組んでやがったのか、やっぱり!!」
「ルーク……話が見えないのですが……」
 シオンも、泣き腫らした眼をルークに向ける。
「そいつの記憶の中で話してたのは、俺のクソ師匠なんだっ。ああもう、思い出しただけでも腹が立つ!!」
「だから説明を……」
「何が『見聞を広めるために旅に出ろ』、だぁ!? その話に乗った俺も俺だが、やっぱり腹立つ!!」
「じゃあ、さっきの口の悪い馬鹿弟子って――」
 きっとルークのことだったのだろう。その結論に辿り着いたロビンとルークの二人は、顔を見合わせて笑い出した。
「おい、何笑ってんだ……?」
 ルークはゆらり、と二人の背後で立ち上がった。右手に開いた黒い魔導書を乗せて。
「何って――おい、何持ってんだよ、ルーク!」
「魔導書」
「じゃなくて! 何で既にページ開いてんだよ、ってこと!」
 フン、とルークは鼻で笑った。
「決まってんだろ。……目の前にいる真性馬鹿に制裁を加えるためだっ!」
 そう言うと、ルークの周りに無数の光の弾丸が現われた。それがいくつもロビンに向かって飛んで来る。
「うぉっ!? 危ねぇ! てか何でシオンは狙わねぇんだよ!?」
 剣の鞘で何とか軌道を逸らしながら、文句を言う。その言葉にシオンがサッと顔を青くさせた。
「俺には、お前の笑い声しか聞こえなかったな」
「嘘吐け!」
「黙れ真性馬鹿!!」
「真性って言うんじゃねぇよ!!」
「――――」
「――――」
「――――」

 ――……ロビンとルークは草地に身体を投げ出した。二人共荒い息を吐いている。
 結局ルークが魔術で精製した弾丸が尽きるまで、二人の喧嘩は続いたのだった。シオンもやれやれ、という風に腰を下ろす。
「くそっ、全弾弾かれた……!」
「へへっ……オレって案外強いだろ……!」
「そうだな。本当に『案外』」
 『案外』の部分を強調して、ルークが言った。
「てめぇ、いちいち人の揚げ足取るんじゃねぇよ!」
「取られる方が悪いんじゃないんですかー?」
 ロビンの言葉をさらり、と流すルーク。
「っこの――」
「それより」
 第二ラウンド開始かと思われたが、ルークが突然話題を変えた。
「お前はこれからどうするんだ?」
「やはり、お兄様の……?」
 シオンもおずおずと尋ねる。
「そうだな。やっとすっきりしたよ、目的が見つかって」
 今までは目的もなく、ただ街という街を旅し、時には魔物との戦闘。
 しかし、これからは兄のため、という理由が出来た。
「オレは兄貴を目覚めさせる方法を探す。どんなことをしても……それが、オレの役目だから」
 剣の柄をぎゅっと握った。新たな決意を、剣を通して兄に伝えるように。
「じゃあ、その旅に超有能な魔術師は必要だよな」
「我が国へも来る時があるでしょうから、是非ご一緒させて下さい」
「へ……?」
 ロビンは二人のの言葉に一瞬、ポカンとした。
「……言っとくけど、俺はあのジジイの知らねぇ魔術を知りてぇだけだからなっ」
 そう言って、ごろり、と寝返りを打った。ロビンからはルークの表情は分からない。
「もしかして、照れてるんですか……?」
「照れてるわけねぇだろが。訳分かんね」
 シオンが聞くと、ぶっきらぼうな返事が返ってきた。
「ぷっ……あははっ。ルークが照れ……てる……ぞ……っておい、何してんだよ!?」
 再び笑い始めたロビンだったが、突然ゆっくりと立ち上がったルークの右手に再び開かれた魔道書が乗せられているのが見えると、その笑顔は凍り付いた。
「やっぱり、真性馬鹿にはきつーいお仕置きをしてやらねぇとな……」
 そう言うと、先程を凌ぐほどの光の弾丸が現われた。
「ふん、さっき全部防がれたの忘れたのかよ」
 ロビンも起き上がり、剣を構え余裕の表情で笑って見せた。
 シオンはもう、止める気すらないらしい。我関せず、といった風に座り込んだまま空を見上げている。
「試してみるか?」
 ゆらり、と立ち上がる。
「返り討ちにしてやるよ」
 お互いに少し間を取った。
「後悔するぜ――?」
 ルークがそう言ったか言わないかの内に一つの弾丸が、ロビンに撃ち出された。
 しかしロビンの剣によって、弾丸は甲高い音を立て別の方向へ逸れていく。
「ほらなっ。やっぱり――」
 と、言いかけたロビンの頬を、何か小さなモノが掠めた。微かな痛みと共に、血が滲む。
「え……!? どういうこ――おわっ!?」
 今度は別の方向から、弾丸が飛んできた。慌てて鞘で防ぐ。
「いつまでも同じだと思ってたら大間違いだぜ? 今度の弾丸はホーミング式。お前に当たるまで永久に追いかけ続ける」
「うわっ。ずりぃよ、お前っ」
 何度も弾丸を防ぎながら、文句を言う。
「あ、まともに当たっても別に死なねぇから。所詮、魔力の塊だし。ただ……当たった瞬間はかなり痛ぇけどな!」
 ルークが言い終わると、無数の弾丸が一気にロビンに向かって撃ち出された。
「やべ――」
 ここは分が悪い、と判断したロビンは鬱蒼とした森の中へ駆け戻った。しかし弾丸は木を貫通し、ロビンへと向かって行く。
「ホント、お前ずりぃ!!」
「ふん、土下座して『ルーク様ごめんなさい。お詫びにオレはあなた様の犬になります』ぐらい言ったら許してやるよ!」
「死んでも言うか!!」
 そんな言い合いをしながら、森の中を移動していどうしていくが、弾丸は木を抉り薙ぎ倒していく。それを見て、嫌な汗が流れた。
「っくそ……!」
 ロビンは左手に握る剣の鞘と柄を縛る紐に手をかけた。あの日以来、見ることも出来なくなったこの刃。あの過去を見た自分なら、再び握ることができるのだろうか――?
 ガサッ、という音をさせてロビンが草地に躍り出た。その後には無数の弾丸。一度、それは止まった。まるでロビンが最後の一線を越えるのを待つように。
 ロビンは目を閉じて、一気に紐を解いた。そして、鞘から剣を引き抜く。現われたのは刀身を太陽の光で煌かせた美しい一振りの剣。ロビンが最後の一線を越えた瞬間だった。
「……来い!」
 紐と鞘を投げ捨て、構える。それを待っていたかのように、弾丸が融合し一振りの光の剣となった。そしてそれが一気に振り下ろされる――。
 その時、ルークとシオンは見た。振り下ろされる刃より速く、ロビンの剣がそれを両断したのを。
 真っ二つになった光の剣はそのまま崩れ、消えていった。
「ふー……」
 ロビンは大きく息を吐くと、剣を鞘に納めた。
「オレの勝ちだなルーク――」
 ニッと笑ってルークの方を見るが、ルークの興味は既に逸れていた。少し屈みこんで、ロビンの剣の鞘に掘り込まれた紋章などを観察している。少ししてから立ち上がって離れていったが、その口からは呟きが漏れていた。
「この剣……あぁクソッ……こりゃ退魔の剣じゃねぇかよ。だからあの時も……」
「は……?」
 訳も分からないまま、ルークの呟きを聞くしかないロビン。
「お前の記憶操作が解けかけてるって言ったよな、俺。その理由が今分かった。原因は、その剣だ」
「はあぁぁ!?」
 きっぱり、と断言した。ロビンは、ただそう反応するしかなかった。
「多分、エヴァンズを刺したときに退魔の波長が発生したんだろう。それを暫く浴びていたお前は、簡易魔除けになってた訳だ。魔術っていっても、結局『魔』の力だからな。おそらくジジイが記憶操作用の術式もそれで微妙に歪んだんだ。それで、真実は曖昧な記憶として残った」
「と、いう事は――?」
 ルークは後ろを向いたまま言った。
「その剣で、俺の魔力が分解された。お前の……」
 最後はごにょごにょと言葉を濁して、シオンのところへと向かって歩いて行った。
「オレの……何?」
 ロビンはルークの後について聞いた。しかし、返ってきたのは、
「知らね。ほら、行くぞ。このままじゃ次の街に着くまでに日が暮れちまう」
 というぶっきらぼうな答え。また後ろを向いたままである。
 ロビンは、少し考えたかと思うと意地の悪い笑顔を浮かべた。そして、息を潜めルークの背後に忍び寄る。まだ、気付かれてはいない。
「ルーク、お前また――」
 そう言って彼の顔を覗き込むようにして飛び出したが、その顔面は何か固いものに思い切りぶつかった。
「痛……ッ!?」
 少し赤くなった鼻を擦りながらルークを見上げると、そこには分厚い魔導書を高く振りかぶったルークがいた。
「あの……ルークさん?」
 照れているルークを期待していたのだが、今度はそうでなかったらしい。
「魔術師の武器が魔術だけとは限らねぇよな?」
 ルークはそう言って先程のロビンより意地の悪い笑顔で、それを一気に振り下ろした。
 ゴッ! という鈍い音。
 ロビンは、痛みのあまり声も出せないようで、ただただ地面をのた打ち回るだけだった。
「ロビン――」
 さすがにみかねたのか、シオンが様子を見に行こうとしたが、ルークに制された。
「馬鹿は放っておけ。ほら、行くぞ」
「あの……ハイ」
 それでも、という風にロビンを見たが、諦めたように頷いた。
 そして二人は、ロビンを置いて草地を出ていった。

「くそぉ、角で殴りやがって……ッ!」
 二人がいなくなって少しした後、ロビンは殴られた箇所をさする。立ち上がろうと地面に手をついた時、指先に草とは違う感触を感じた。そちらへ目を向ける。
 ロビンの指先に絡んでいたのはあの剣を縛っていた紐だった。ロビンはそれをじっと見つめた後に立ちあがり、手に持った剣をしっかりと握る。
 紐は――置いていくことにした。これからはもう、必要ないものだったから。
「二人共、さんきゅ……!」
 そう呟くと、ロビンは二人の後を追いかけ、草地を後にした。




 ――人は人生の中で、何度も前進と後退を繰り返す。
 しかし、それは振り子のように何度も同じ事を繰り返す訳ではない。
 少しの恐れと、大きな希望を持って、踏み出して行く。
 ――そう、例えば一人の空中ブランコ乗りのように。





やっとこさMC前作のS×Sの修正が終了しました…。
実は修正前の原稿のデータが消えてしまい、風見鶏に送った草稿から書き直しているので、前回upしたものとはまた違ったものになっているかもしれません。
何しろ草稿ではシオンが男の子(娘(ぁ)だったり、ジジイの口調が違ったりでしたからね。
ロビンのブラコンにも似た兄弟愛やルークのツンデレ度が上がったように思っていただければ成功かな、と密かに思っています
MCにも登場する彼らをまた見守ってやって下さい。
ここまで読んで頂き、有難うございました。
加筆修正:2010/11/28 (C)香山湊